佐藤継信の導きか?!
2011年07月07日
昨日はPTA研修部の家庭教育学級の日でした。
テーマは災害、「現地入りした消防団員のリアルトーク」\(◎o◎)/!
震災直後現地に入って捜索活動をした
香川県の緊急災害援助隊の活動についてお話を聞きました。
44名の精鋭隊員チームは震災直後香川県各地の消防から編成され、
緊急車両10台で宮城県気仙沼市で必死の捜索活動をされたそうです。
「夢なら醒めてくれ」と何度も思ったほどの惨状の中、
瓦礫をめくって、流木を掻き分け、
中に埋もれているかもしれない人たちを探したそうです
香川県隊が野営をした場所は、
気仙沼市の津谷中学校。
以前にこのブログで紹介した、
源平合戦のヒーローの一人、
「佐藤継信」。
屋島壇ノ浦の合戦で義経の身代わりに戦死。
故郷のみちのくに愛妻と最愛の母を残し、
讃岐の地で命を散らしました。
八栗駅の近くにお墓があります。
継信の故郷、気仙沼市吉本町津谷桜子にある浄勝寺にも
佐藤継信、忠信兄弟の五輪塔や木像があります。
http://www.pacs.co.jp/hist_walk/walk_miyagi02/motoyosi_tuginobu_haka/index.html
浄勝寺のある中学校区は、
なんと!
香川県緊急災害援助隊が野営した津谷中学校ですっ
もちろん、そんな歴史的ゆかりの地を選んで派遣されたワケではありません!
まるっきりの偶然でしょう
講師の先生は、この援助隊の隊長さんだった人です。
講座の冒頭、
多くの消防関係の仲間たちが
この大震災で殉職したことを、大変悲しく重く受け止めていると
話しました。
最後まで職務を全うした
消防職員と佐藤継信兄弟が
この地に引き合わせたのでしょうか?
講座の終わりに、
何年かして、きっと復興しているであろう
気仙沼を、この目でもう一度見たい、
行く末を見守りたい、と。
胸が詰まる思いがしました。
震災から4カ月近く
被災地の戦いは果てしなく続いています。
テーマは災害、「現地入りした消防団員のリアルトーク」\(◎o◎)/!
震災直後現地に入って捜索活動をした
香川県の緊急災害援助隊の活動についてお話を聞きました。
44名の精鋭隊員チームは震災直後香川県各地の消防から編成され、
緊急車両10台で宮城県気仙沼市で必死の捜索活動をされたそうです。
「夢なら醒めてくれ」と何度も思ったほどの惨状の中、
瓦礫をめくって、流木を掻き分け、
中に埋もれているかもしれない人たちを探したそうです

香川県隊が野営をした場所は、
気仙沼市の津谷中学校。
以前にこのブログで紹介した、
源平合戦のヒーローの一人、
「佐藤継信」。
屋島壇ノ浦の合戦で義経の身代わりに戦死。
故郷のみちのくに愛妻と最愛の母を残し、
讃岐の地で命を散らしました。
八栗駅の近くにお墓があります。
継信の故郷、気仙沼市吉本町津谷桜子にある浄勝寺にも
佐藤継信、忠信兄弟の五輪塔や木像があります。
http://www.pacs.co.jp/hist_walk/walk_miyagi02/motoyosi_tuginobu_haka/index.html
浄勝寺のある中学校区は、
なんと!
香川県緊急災害援助隊が野営した津谷中学校ですっ

もちろん、そんな歴史的ゆかりの地を選んで派遣されたワケではありません!
まるっきりの偶然でしょう

講師の先生は、この援助隊の隊長さんだった人です。
講座の冒頭、
多くの消防関係の仲間たちが
この大震災で殉職したことを、大変悲しく重く受け止めていると
話しました。
最後まで職務を全うした
消防職員と佐藤継信兄弟が
この地に引き合わせたのでしょうか?

講座の終わりに、
何年かして、きっと復興しているであろう
気仙沼を、この目でもう一度見たい、
行く末を見守りたい、と。
胸が詰まる思いがしました。
震災から4カ月近く
被災地の戦いは果てしなく続いています。
