ハンセン病の悲しいお話と善根の湯

2011年05月31日

今でも時々
ハンセン病に対する理不尽な話を耳にすることがありますが、
間違った知識や誤解による
偏見や差別が当たり前だった頃
悲しくて胸が痛む話がたくさんあります。

福島の風評被害などの話を聞くたび
いつの時代にも同じような過ちが繰り返されるのだなぁ、
とむなしくなるのです。

愛媛県の生涯学習センターの講座の中に
偏見により故郷を去らざるを得なかった
悲しい親子の話が載っていました。




谷口廣之氏は、
足摺岬にある金剛福寺の長崎勝憲住職から採録した、
三重県からやって来たという母親とハンセン病の二人の幼い息子の話を書き留めている。
次のような、胸が痛む話である。


 女のお遍路さんが十一歳になる男の子と八歳になる男の子を連れまして、
二人とも足に包帯しておるんですね。
変なあれだなと思って顔を見るとひじょうにかわいい子でね。
で、お母さんもなかなか顔立ちのいい方で、
お母さんは十一歳になる男の子を背負って、
足に水がはいらないように足を上げましてね、
ひょろひょろよろけながら川の浅瀬を渡っていったんですね。
それから足摺山まで三十三の山を越えまして、
三十四の海岸におりたったんですね。
で、海岸におり、山を登るときは、
道らしい道もなくて、木の根に伝わって登り、
木の根に伝わっておりるという。
 お母さんは兄の子を背負っておりて、
また登っていって、弟の子を背負っておりるというですね、
たいへんな道中なんです。(中略)
 夜中の十一時頃、
疲れているものですからうとうとしておりましたら、
波の音、風の音を通してくる、ひょうひょうとなる音を通して、
大師の堂の前から、
さっきのお遍路さんが、必死になって祈っている声が聞こえてきたんです。
その女のお遍路さんは、
子供たちを寝かせておいてですね、その寝息を聞いて、
そこを抜け出しましてね、
その大師堂の縁でね、十二月の、あの潮風が吹きつけるお堂の前でね、
必死になって拝んでいるんですよ。
その女のお遍路さんの、お母さんの声は、にわとり鳴けどなおとどまらず、
朝までその子供たちのために祈っとったですよ。


ハンセン病以外にも
飢饉や災害、病気や障害などで
帰る家をなくした様々な貧しい人たちが、
四国の人たちの「お接待」にすがって
死ぬまで遍路を続けました。
遍路道には無数の名もなきお墓が残っています。
戦後昭和40年ごろまでたくさんいたそうです。

ハンセン病患者は、その後も長い間、
隔離され続けました。
多くの日本人は高度成長に浮かれて、
忘れ見捨ててしまっていたのです。

このような日本の難民を受け入れ、支えてきた「お接待」は
今も四国に残っています。
善根のお風呂を東北の被災地に届ける活動が広がっています。

頼もしくうれしく思います。
四国には昔からそのような土壌があったのでしょう。

善根とは、今で言うボランティアの意味でしょうか?
江戸時代から、庶民の中でそのような善意の活動が
四国全土で行われていたのには驚きです。

被災地支援に限らず、
誰かのために
出来ることを
出来ることから始めましょう。




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この記事へのコメント
お遍路さん、いろんな思いを持ってまわっていたことでしょう
四国の人には、お接待といういい習慣が残っているんですね
自分にできること、小さいことかもしれないけど、そこから始めるしかないですよね(^^)v
Posted by tsubakitsubaki at 2011年05月31日 22:56
tsubaki様

善根、っていい言葉ですよね~。
ボランティアって言葉より日本人にすんなり合うような気がします。
小さい良い行いを心がける、って感じがします(*^。^*)。
「接待」に「お」を付けるところもかわいい!
昔の人は謙虚だなぁ~。
Posted by 0-た0-た at 2011年06月01日 10:51
子供の頃、昨日まで人気者だった友達が突然いじめられるようになりました。
彼は差別を受けていました。
子供だった私は、その差別がどういう意味なのかもわからず、ただ見ているだけでした。
今でも、彼を助けてあげられなかった自分を後悔しています。
もし、あの頃に戻れるものだったら彼を助けてあげるのに。
子供は時として残酷なことをします。

大人がしっかりしなくては。

あの頃には戻れないから、偏見や差別のない世の中になるよう、
今、自分にできることをやりますね。
Posted by 小店主小店主 at 2011年06月02日 20:21
小店主様

子どもの頃は罪多き年頃です(=_=)。
でも、その失敗があるから大人の責任を持てるようになるのかも。
今、私がやってるのも、その失敗があったからですw(>_<)。

・・・そんな、悲しい運命を背負った人たちの
支えになった四国の人の「お接待」のことを、
最近知りました。
とても感動しました!
昔から四国の人は自分に出来ることをやってたんですヨ(*^。^*)。
Posted by 0-た0-た at 2011年06月03日 11:33
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