着物の袂(たもと)の不思議
2010年11月15日
着物が好きなんです。
今月は、お茶会やら歌舞伎やらで着物を着る機会が多かった


子どもころからの着物好きで、
着物を自分で着るようになってからは20年以上経ちます。
裁縫も少し習ったりもしてたし・・・。
洋服にはあんまり興味ないけど、
なぜだか着物はどんなタイプの物でも好きです。
着物着たさにお茶や踊りもやりだしたようなもんだし。
シックな茶会用の着物から
キテレツな大正ロマン系まで着ちゃいます
自分でもだいぶ着慣れてきたと思うようになりました。
いつも不思議に思うのが「袖、袂(たもと)」
「袖振り合うも他生の縁」とか
「袂を分かつ」とか言葉にもあるけど。
着物を着る時も、着てからも、
一番大変なのが袂の扱い。
ピラピラ長くて、邪魔になってしょうがない。
日本の服飾の歴史も長く、
時代とともにスタイルがどんどん変化していきます。
今の女性の着物は、昔の下着だったとか。
着物の時代の生活は当然全てが着物だったんだから
あらゆる作業も着物で行ったはず。
しかも今のように便利な家電も農機具もなかった
衣類は生活に合わせて変化していくはずなのに
なぜだか袂は残ったまま・・・。
たすき掛けや、片肌脱ぎで作業をしていたんだよね。
西洋文化が入ってきても
アメリカ大好き!なんでもマネする!の時代が来ても
昭和50年代まで、着物は普通の生活着として
ヒラヒラの袂を残したまま着用され、
上っ張りや割烹着が活躍しています。
合理的で、損得勘定が先立って、
邪魔なものは除き、便利なものばかりを集めまくった現代人。
なぜ、邪魔で不便な袂を残したんだろうか???
ニュー着物が流行った時も袂はちゃんと存在していた。
1メートル以上もある袂の振袖もまだまだ健在!
着物の「袂」を想うとき、
日本人の心の奥を感じるような気がします。
どんなに時代が変わっても、時代に流されても、
なぜかそれだけは変わらない、「何か」を持ち続けている。
袂にそっと手を添えて物を扱う仕草は、男女問わず、とてもステキです。
その姿が無くならないのはとても嬉しい
今月は、お茶会やら歌舞伎やらで着物を着る機会が多かった



子どもころからの着物好きで、
着物を自分で着るようになってからは20年以上経ちます。
裁縫も少し習ったりもしてたし・・・。
洋服にはあんまり興味ないけど、
なぜだか着物はどんなタイプの物でも好きです。
着物着たさにお茶や踊りもやりだしたようなもんだし。
シックな茶会用の着物から
キテレツな大正ロマン系まで着ちゃいます

自分でもだいぶ着慣れてきたと思うようになりました。
いつも不思議に思うのが「袖、袂(たもと)」
「袖振り合うも他生の縁」とか
「袂を分かつ」とか言葉にもあるけど。
着物を着る時も、着てからも、
一番大変なのが袂の扱い。
ピラピラ長くて、邪魔になってしょうがない。
日本の服飾の歴史も長く、
時代とともにスタイルがどんどん変化していきます。
今の女性の着物は、昔の下着だったとか。
着物の時代の生活は当然全てが着物だったんだから
あらゆる作業も着物で行ったはず。
しかも今のように便利な家電も農機具もなかった

衣類は生活に合わせて変化していくはずなのに
なぜだか袂は残ったまま・・・。
たすき掛けや、片肌脱ぎで作業をしていたんだよね。
西洋文化が入ってきても
アメリカ大好き!なんでもマネする!の時代が来ても
昭和50年代まで、着物は普通の生活着として
ヒラヒラの袂を残したまま着用され、
上っ張りや割烹着が活躍しています。
合理的で、損得勘定が先立って、
邪魔なものは除き、便利なものばかりを集めまくった現代人。
なぜ、邪魔で不便な袂を残したんだろうか???
ニュー着物が流行った時も袂はちゃんと存在していた。
1メートル以上もある袂の振袖もまだまだ健在!
着物の「袂」を想うとき、
日本人の心の奥を感じるような気がします。
どんなに時代が変わっても、時代に流されても、
なぜかそれだけは変わらない、「何か」を持ち続けている。
袂にそっと手を添えて物を扱う仕草は、男女問わず、とてもステキです。
その姿が無くならないのはとても嬉しい
